孝は忠より上

その昔、中国の三国志の時代、儒教がブームだったころです。道教はここから始まり、仏教はようやく定着をしていきそうな気配でした。
儒教では五徳を大切にします。すなわち仁義礼智信です。それが八徳になると忠と孝と悌が増えます。
忠は主君に尽くす徳です。今でいう会社に尽くすといったところでしょうか。
孝は親に尽くす徳です。親孝行というぐらいです。
三国志時代の曹操の嫡子・曹丕が宴の戯れに皆に問答をしました。
ここに薬が一つしかない。治せるのはだたひとり。そのとき主君と父親がその病に倒れた。君はどちらを救うかと。
会社もしくは社長か、親か。
現代であれば悩むのかもしれません。江戸時代でもこの問答の答えは悩んだことでしょう。
ましてや主君の嫡子、いずれは主君になる人間に問われているのです。答えに詰まる者が続出する中で、一喝して答えます。
「孝であると」
理由はいたってシンプルで、忠は個人が主君に尽くすもの、対して孝は一族全体の繁栄を目指すものです。ということでコロコロ変わる王朝や主君よりも一族が安泰する孝が重要になるわけです。
これが儒教の説く「孝」です。
具体的な例を紹介しているのが「二十四孝」です。その中で一つだけ例を示すと、三国志の時代に陸積という者が当時の権力者である袁術の家に招かれたときに出された蜜柑があまりに美味しくて、三つ程袖に入れて隠し持って帰ろうとしたそうです。帰りに礼をしたときにうっかりとそれをこぼしてしまい、袁術から「なんだお前は泥棒か」と馬鹿にしたところ「あまりに美味しく、母親に持って帰ろうとしました」と答えたところ、袁術はその心意気に感動したといいます。陸積の機知を褒めるべきなのか、袁術の度量の広さを褒めるべきなのか。
とりあえず何よりも孝が重んじらた時代かもしれません。
親孝行とは単に親を喜ばすためだけではなく、一族の繁栄を目指した行為や考え方を言うかもしれません。
歴史を振り返った孝とはこのようなものです。